安保法案に関する論点整理【衆議院】その3

    ■■法的安定性に関する論点整理■■

    黒字部分は野党と参考人の発言/赤字部分は政府側答弁緑字部分はサイト作成者の補足解説

    ◆法的安定性

    • 人にとっての生き方や世界観は多様。相互理解できない価値観がある。価値観の押しつけは深刻な対立を生む。多様な価値観を認め、人間らしい平和な社会生活を送るための基本的枠組み(基本的人権、民主主義など)を憲法で規定する。立憲主義に立脚する憲法は変更が難しい。多数派少数派の変転やたまたまトップの考えに影響される変化を認めない。国の根本原理を変える場合は、将来、中長期的に適用可能かどうか、国民全体の意見を反映させる。(6/4、長谷部参考人)

    • 権力者の恣意ではなく法に従って権力が行使されるべきであるという政治原則(6/4、小林参考人)

    • 現在の憲法をいかにこの法案に適用させていけばいいのかという議論を踏まえまして閣議決定を行った(6/5、中谷)→発言の趣旨を訂正、発言を撤回(6/10、中谷)

    • 安全保障環境が変われば解釈を変えることはありうると答弁した。安全保障環境が変わって政府が180度解釈を変えることは立憲主義の否定、法的安定性の否定だ。(6/10、宮本)

    ◆昭和47年見解

    昭和四十七年の政府見解

    • 【1】憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文に置いて「全世界の国民が...平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、...国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らであつて、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」としている。この部分は、昭和34年12月16日の砂川事件最高裁大法廷判決の「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の機能の行使として当然のことといわなければならない。」という判示と軌を一にするものである。

    • 【2】「しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の(この下線部分、新法案では削除。「急迫・不正」は武力攻撃を受けることを意味する。)事態に対処し、国民のこれからの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。」として、このような場合に限って、例外的に自衛のための武力の行使が許されるという基本的な論理を示している。

    • 【3】その上で、結論として、「そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」(6/10)

    政府の主張

    • 「あてはめ」:最高裁は憲法9条にもかかわらず「必要な自衛の措置はとりうる」としている。自衛のために何が「必要か」は時代によって変わりうる。

    • 昭和47年政府年見解の1,2は変化なし、3だけ変わった。1,2は論理で3はあてはめ。(6/10、横畠)

    • 将来、1,2が変わったら3は戻せばいいのか(辻本質問)。→仮定の話ならそうなる(6/10、横畠答弁)

    (わかりにくいので解説)

    ●憲法は武力行使を禁止しているが、昭和47年見解は環境変化に対応するために個別的自衛権を容認した。つまりS47見解を通したこと自体が、憲法の解釈変更が可能であることの証左。今回も環境変化に合わせ解釈変更できる。

    ●「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」の中に「自国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は許される」が含まれる、という拡大解釈。

    問題点

    S47の1,2を維持していれば、3は環境にあわせて変えてもいい、というのは、法的安定性がないということだ。(6/10、辻本) (その他、多くの反対論、問題指摘があるが、省略する)

    ◆砂川事件・砂川判決

    事実確認

    1955年から米国は、日本をアジアの戦略拠点とするために、大型機の離発着可能な滑走路を必要とした。そこで、東京の立川、横田、小牧、伊丹など5飛行場の拡張計画を打ち出した。立川飛行場拡張のため農地の強制収容が予定された砂川町では、議会が全会一致で反対を決議。町議会議長を闘争委員長として、基地拡張に抵抗した。労組や学生も支援して、大きな基地拡張反対闘争に発展していった。1957年7月8日、反対する農民・学生らが、たまたま簡易な柵が倒れたので、基地内に4.5メートルほど立ち入ったところ、この行為が、安保条約に基づく刑事特別法2条(施設・区域を侵す罪)に違反するとされ、7人が起訴されたのである。これが世にいう砂川事件である。一審判決は、アメリカ軍の駐留を違憲とし、全員の無罪判決。

    最高裁判決主旨:憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」(統治行為論採用)

    司法権の独立が侵害された(米国公文書によって判明)

    当時の藤山愛一郎外相、福田赳夫自民党幹事長、上告審の担当裁判長である田中耕太郎最高裁判所長官がマッカーサー駐日米大使と会った。米国大使は、同判決を最高裁に直接上告(跳躍上告)し、最高裁にて合憲判断する、という考えを示し、日本政府および裁判長はこれに従った。

    米国公文書判明当時の新聞見出し:「米に公判日程漏らす」(『毎日新聞』4月8日付)、「砂川事件『少数意見回避願う』」(『読売新聞』)、「砂川事件『安保改定遅れに影響』」(『東京新聞』)、「司法の独立揺るがす 判決見通し伝達」(時事通信)、「全員一致願う」(共同通信)、「上告審見通し米に伝達」(『朝日新聞』4月9日付)という見出しである。

    参考リンク:砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」――どこが「主権回復」なのか

    政府の主張

    憲法の番人である最高裁判決こそ依拠すべき法理である。砂川判決は憲法前文の平和的生存権を引いた上で、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な措置を取りうることは国家固有の権能であり当然のことである。必要な自衛の措置のうち、個別/集団的自衛家の区別をしていない。当時の最高裁判事は集団的自衛権が念頭になかったという人もいる。しかし判決では、国連憲章は個別的自衛権、集団的自衛権を各国に与えていると述べている。その上で「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、〜内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従う」と述べている。(6/11、高村)

    問題点

    政府が集団的自衛権容認の根拠として引用する砂川判決は、駐留米軍が憲法九条二項の戦力に当たるかが問題となったもので、昨日の特別委員会で横畠法制局長官も、集団的自衛権について触れていないと認め、また、政府の引用する部分が、先例として拘束性を持つものではない、まさに傍論部分であることを認めざるを得なかったものです。

    しかも、砂川判決は、最高裁が統治行為論をとって憲法判断を避けたものです。その背景には、裁判所と日本政府に対するアメリカからの圧力があり、司法の独立も国家主権も損なわれた状態で出された対米従属の判決だったことが、アメリカ政府が解禁した文書等で判明しています。このような判決を根拠に最高裁も集団的自衛権を認めているかのように言う、憲法学者による違憲との指摘にも耳をかさない、こんなやり方が立憲主義にもとると参考人から指摘されるのは当然であります。(6/11、赤嶺)

    ◆日米ガイドライン

    従来のガイドライン

    97年のガイドラインは、事態がはっきり認識されていた。アメリカは日本を拠点にして朝鮮半島危機に対応する。日本は本土と周辺における後方支援を行う、というイメージがはっきりあった。

    新しいガイドライン

    • 米国カーター国防長官は、日米同盟を一変する新ガイドラインと言っている。日本側はどこも変わっていないといっている。(6/5、赤嶺)

    • 今度のは、あらゆるところであらゆる事態に対して日米の協力関係、ということで事態が特定されていない。中国への対応で、海洋安全保障、アセット防護が平時から非常時について何度も使われているが、アメリカが何をやるかわからない中で共同計画が作られている。前回は共同計画を検討し閣議決定をするものであったが、今回は平時から策定するとなっている。アメリカと日本は、意図の違い、脅威認識のずれ、国益が完全に一体ではない、なかでどう運営していくか不明確。巻き込まれの恐怖もあるし、アメリカも日本の冒険的な行動に巻き込まれたくない。(7/1、谷畑)

    • グローバルな日米協力に関する規定を盛り込んでいる。インド洋、イラクでの米軍兵站支援活動、テロ特措法、イラク特措法は時限立法だった。今回の規定はグローバル日米協力を位置付けるもの。海外派兵の一般法、恒久法も提出している。(6/5、岸田)

    ◆ 憲法9条・合憲性

    • 大日本帝国が、アジア太平洋戦争においてアジア諸国民等二千万人以上、日本国民も三百十万人以上の命を奪ったとされておる惨劇がありました。このような惨劇を二度と繰り返してはならないという痛切な反省のもとに制定された日本国憲法である、このような経緯があります。

      日本国憲法の前文で、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意」しておりますし、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」しております。これを受けて、第九条では、戦争を放棄し、あらゆる戦力の不保持と交戦権の否認まで行っております。

      したがって、自衛隊が海外に武器を携帯して出かけ、そこで戦闘行為に加担するということなどは、憲法が根本的に排除しようとする武力行使そのものであり、いかなる名目をもってしても憲法上許されないもの、このように考えております。

      さらに言えば、歴代内閣が否定してきた集団的自衛権の行使を、限定的と称しながらこれを容認することは、憲法の解釈変更の限界を超えるものであり、この点からも違憲であるということは明らかであります。(7/6、石河、参考人質疑)

    • 戦後七十年にわたり、曲がりなりにも日本が平和で経済的に繁栄した根底に、日本国憲法の徹底した平和主義があったことは間違いない事実だと思います。

      米軍が駐留しているから攻められなかったと主張する方もいらっしゃいますが、戦後七十年にわたり、日本の政府の行為によって海外の誰一人として殺していないということは紛れもない事実であり、それは日本国憲法の縛りがあったからにほかなりません。

      今回の二法案は、この憲法の縛りを外すものであり、海外で戦闘に巻き込まれる危険性が極めて高いものであります。もしこの法案が成立すると、これまでのように誰一人殺していないと言えなくなってしまいますので、日本国民は、国の内外を問わずテロの標的にされる、その危険性は劇的に高くなる。(7/6、石河、参考人質疑)



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